産経とiPhoneとメディア・ビジネス
気がつけば、年の瀬がもうそこまで迫っている。今年はほんと公私ともに振り回されっぱなしだったが、その分だけ、いろんなことを考えたし、また教えられもしたように思う。もう少し落ち着いたら、そんな「あれやこれや」もちょっとずつ記していこう。
それはさておき、昨日職場でもかなり話題になった産経新聞のiPhone向け紙面配信。何人かは「オレもiPhone買おうかなあ」とかなり真顔で考え込んでいた。わたし自身も、産経新聞&産経デジタルのここ最近の尖鋭的な取り組み(というか、開き直りっぷりというか)には注目していたので、「なるほど、そう来たか」と素直に関心した。
産経がどこまで深く考えているのかはもちろん知らない。案外、勢いだけなのかもしれない。けれど、デジタル・デバイスの特性や、新聞社の強み・弱みを冷徹に見据えたうえでの戦略だとしたら、結構手ごわいのではないか。そんな気がする。
やってることは至って単純だが、少し考えれば、これは現状、プラットフォームがiPhoneだからこそ成り立つモデルであることがわかる。相変わらずインフラで儲けようとしている国内通信会社であれば、これだけのトラフィックは許容されないだろうし、そこを突破できても相当中抜きされるのは目に見えている。かといってGoogleなどが進める完全オープンな世界はと言えば、今度は権利者が恐れを為してしまう。端末そのもののコントロールが利かないWindows Mobile機も同様に難しいだろう。
クローズドな端末とディストリビューション・センターを押さえるアップルと、インフラの“土管化”を(今のところ)容認しているソフトバンク。不完全とはいえ水平分業型の市場が誕生したことで、はじめて成り立つ配信モデルではないか。
ただ、こういうモデルは、往々にして「稼げそうだ」となった瞬間にいろんな人がシャシャリ出てきてダメになりがちだからなあ。。。産経には、そのあたりも含めて、頑張っていただきたいと願うばかりだ。
iPhoneは受け身で使いたい
なんだかんだと言いながら、結局、先週末にiPhone 3Gを購入した。先週、会う人会う人から背中を押されたというのもあるけれど、やっぱり、Macユーザーとしては、いま使っているWindows Mobile機(古い03esだけど)は何かと辛いので。
周囲からは不満の声もちらほらと耳にするが、わたしとしては「これだけ使えれば十分かな」というのが今のところの率直な印象。触ってみてあらためて思うことは、iPhoneが、能動的なアクションを支援するようなモノではなく、あくまでもビューワであり、受動的に情報を取得するためのガジェットだということ。だから、情報の“受け”を効率化したいと思う人には結構フィットするのではないだろうか。03などと比べると、2分とか3分とかの細切れの時間で得られる情報量が多い。
その反面、何でもこれで済ませたい派の人にとっては、きっといろいろ不満が出るだろう。その意味で、昔のPDAとか電子手帳のような使い勝手を望む人にはあまり向かないかもしれない。
例えば仕事なら、ちょっとした空き時間で情報を受けてしまい、少し頭を整理してからデスク作業に入る。たぶん、わたしのiPhoneの使い方はそんな感じになるだろう。
ちなみに、目下のわたしの最大の望みは、iPhone版Last.FMの安定性向上。これがもうちょっとまともに使えたら、iPod機能すら不要にしてしまうキラー・アプリになるのだが。。。
iPhone狂想曲の裏側にあるもの
ここのところ、ブログを書く時間すら取れないような状況なので、実は昨今の「iPhone祭り」にもまったく乗れていない。なるほど、こういう祭りに乗るためには自分に余裕がないといけないんだなと思い知らされる。
今のところの私の立ち位置は、「欲しいかと聞かれれば欲しいと答える」という程度で、あまりピンとは来ていない。確かに持ったら楽しいだろうけど、身の周りのさまざまな問題から今の自分を「解放」してくれるようなツールには思えない。今できないことができるようになるという感じもしない。
ただ、面白いなと思うのは、iPhoneに対して、エンタープライズ系のIT企業が思った以上にコミットしていること。このサイトなどを見ても分かるように、さまざまなアプリケーション・ベンダーがiPhone用のフロントエンド・ツールを提供している。こうした動きが本格化すれば、ビジネス・ユーザーの間に一気に広がる可能性もなきにしもあらずではないか。
発売当初のテレビの馬鹿騒ぎしかり、ネット上に溢れているこちらが引いてしまうほどの礼賛記事しかり、ここ数日のiPhoneを巡る情報の流れを傍目に見ていると、何となくだが、ここしばらくのIT製品に対するある種の“不満”が鬱積した結果ではないかと思えてくる。さらに言えば、「反マイクロソフト」「反Windows」の匂いを嗅ぐこともできる(日本だけを見れば、反ドコモの感情もそこに含まれるのかもしれないが、それはどうでもいい)。
iPhoneが次のパラダイムの中心に立つとは考えにくいが、iPhoneが映し出すそうした世相のようなものが、大きなパラダイム・シフトを引き起こす可能性はあるかもしれないなと思う。直感だけど。
iPod touchは本当に「買い」なのか
iPod touchの発売が正式にアナウンスされた。
第1報を聞いたときは、いま使っている初代W-ZERO3の置き換えになるかなと少し期待したが、冷静に考える無理がありそうだ。Wi-Fiオンリーでは機動力に欠けるし、何よりMailが省かれたのが痛い。つまり、ビジネスではなく趣味のガジェット。だから、iPod touchはiPhoneの系統ではなくiPodシリーズとしてとらえるべきなのだということなのだろう。
ハンドヘルド・コミュニケータとしての機能は不十分でも、DAPの置き換えとして考えれば結構楽しめるかもしれない。容量の小ささは気になるけれど、たとえ80GBとか160GBとか用意してもらったところで自分の音楽ライブラリをすべて突っ込むのは無理だから、動画がYouTube中心でよいとなれば、そこは割り切れる。
そう考えると、安い8GBを手に入れ、音楽にしろビデオにしろ中途半端に出先で楽しみつつ、あのマルチタップ・インタフェースに酔うというのが、個人的には正しい道なのかもしれない。あとは、実機の音質がどうかというのが気になるところ。
ところで、Wi-Fi Music Storeが登場したってことは、スタンドアロンでPodcastがダウンロードできて聴けてしまうというなのだろうか? それが可能なら、個人的に一番のツボになるのだが。
ガジェット・フリークとiPhoneの距離感
先日、職場の同僚との会話の中で出てきた話題。PDAなどのデジタル・ガジェット大好きであるはずの人たちが、不思議なほどiPhoneに関心を寄せていないのだという。
確かに、ブログなどを覗いていても、そんな印象を受けることがある。Windows Mobile系ガジェットであれば真っ先に飛びつくような人たちが、iPhoneについてはあまり話題にしていない。逆に、これまでPDAなんかにほとんど関心を持っていなかったような人たちのほうが熱心なくらいだ。なんというか、関心を示す層が微妙に分断されているように見える。
ガジェット・フリークな人たちにしてみれば、「プロプライエタリである」とか「いじれない」とか「拡張性がない」とか、さまざまな感情があるのだろう。ただ、国内の大手キャリアまでもが色目を使い始めているデバイスなのだし、もうちょっと別な反応があってもいいのではないか。PDAやスマートフォンを活用しまくってる人だからこそ見えるもの、言えることがあると思うのだが。
思い起こせば、Mac OS Xのパブリックベータ版が出たとき、わたしの周りでは古くからMacを使ってきた人ほど「使えねえ」的な反応だったし、iPodにしても、少なくともMacコミュニティの間では当初は「なんだこりゃ」的な反応が大半だった。パワー・ユーザーの見立てなど、所詮そんなものなのかもしれない。
ちなみにわたしはといえば、当初はiPhoneについては比較的辛口な見方をしていたが、実際に手にした人の感想を聞いたり、動画を見たりしているうちに(まだ実機はさわっていない)、印象が大きく変わってきた。ハードウェアは頑張っているが、PCの機能をそのままPDA環境に移植しようと躍起になって結果的にユーザー・インタフェースが破綻している(ようにしか思えない)Windows Mobile陣営と比べると、少なくとも現時点ではiPhoneを支持したい気分だ。
その意味で、ちょっと前に出たものだが、下の記事の評価にはかなり同意できる。
「レジストリいじってカスタマイズ」的な世界も決して嫌いではないが、それを許容しているだけじゃ、市場でマジョリティを獲得することはできない。日本でPDAが今ひとつ盛り上がらなかった要因も、もしかするとそのへんにあるのではないかと思うのだが。
アップルのiPhone発表をあえて冷ややかにとらえる
前々から噂されていたアップルの「iPhone」がついにお披露目された。だが、残念ながらアジアでの発売は2008年らしい。それどころか、本国でさえFCCの認可はまだだという。Mac関連の発表を切り捨ててまで目玉に持ってきたにしてはチグハグだ。アップルはいったい何を焦っているのだろうというのが、発表を知ったときの第1印象だった。
確かにiPhoneは「スゴイ」とは思う。「触ってみたい」「所有したい」と思わせる力もある。だが「革新性」という点ではさほどではないと感じる。言ってみれば、どこぞのメーカーの何とかという製品ですでに実現されている機能をアップル流にスマートにまとめてみました、といった感じだ。
初代Macにしろ、初代iMacにしろ、初代iPodにしろ、考えてみればアップルという会社はパッケージングの妙を発揮してファンの支持を得てきたわけだが、そこには、シンプルさと使い勝手を追求するという明確な思想がはっきりと打ち出されていた。
では、iPhoneはどうか。
確かに見た目はシンプルでスマートだが、それを実現するために使い勝手はかなり犠牲にしているように思える。使い勝手とはつまり、ユーザー自身の自由をどこまで保証するかということ。端末を横に向ければ画面が回転する──確かにスゲエとは思うのだが、これは裏を返せば「タテ画面にしたいときは、端末をタテに持たなければならない」ということでもある。
その意味では、素直に2ボタンマウスを作ればいいのに見た目のスマートさを重視して、ユーザビリティの向上になんら貢献しないセンサー技術を搭載した「MightyMouse」と方向性が似通っているように思える。
今のジョブズは、もしかしたら「世間をびっくりさせたい」というモチベーションだけで動いているのだろうか。だとしたら、Apple Inc.は、社名のComputer以上に大切なものを失ってしまうのではないかという気がする。
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