ストリート・ビューに対する嫌悪感は、民主社会への恐れの表出でもある
Googleのストリート・ビューに対する議論がなかなか収束しない。否定派の意見にも一理あると思うけれど、個人的には、この種の問題に対して「どちらが正しいのか」的な議論はとっくに決着についたものだと思っていたので、やや意外に感じる。
乱暴に言ってしまえば、「今になってプライバシー問題を盾に反対を唱えるなら、なぜもっと早い時期に声を上げないのか」ということ。ちょっと考えれば、いまの情報化社会がそういう方向に向かっているのは自明だし、さらに言えば、我々はプラス側の恩恵をすでに十分に享受してしまってもいる。
食品偽装問題のときにも同種の問題を感じて少し書いたし、それ以外にも後期高齢者医療制度だとか雇用問題だとかを巡ってもそう感じるのだが、少し立ち止まって考えれば自明であるはずのことが実際に明るみに出たときの過敏な反応には、かえって不安を覚えてしまう。
プライバシーの問題で言えば、例えば、テレビの事件報道などで、最近頻繁に放送されるようになった監視カメラの映像。あんなもののほうが、よほど気味が悪いと思わないだろうか?
いま人気のiPhoneだってわからないよ。個体識別番号とインターネットへのアクセス履歴と位置情報をあれほどシームレスにリンクさせられる端末はこれまでなかったのだから。
もしかしたら、情報入手の経路が広がるなかで、我々の反応は知らず知らずのうちに即時的になってしまっているのだろうか。
それからもう1つ。ストリートビューに対する拒否反応に接して残念に思うのは、その背後に「だれもに見られるのはイヤ。でも、お上がこっそり監視するのはOK」というような意識が見え隠れすることだ。
そんな状態で、いったいだれが中国を嗤えるというのだろうか。
もっとも、わたしもGoogleのサービスに問題がまったくないとは思わない。だが、あまりにナイーブな反応を続けていると、昨今のネット規制議論などとも絡んで、ちょっと厄介な問題に発展するのではないかと思うのだが。
「COOKPAD的なるもの」について
仕事柄、自宅で飯を食べる機会はそれほど多いわけではないが、ここ1〜2年ほど、明らかに食卓に並ぶ品のバリュエーションが広がった。きっと、COOKPADに代表されるレシピ・サイトのお陰なのだろう。
それなりに手早くできるのだろうし、そこそこおいしいし、キレイだし、材料費もそんなにかからなそうだし、何より妻が便利そうだし──などと、基本的には好意的にとらえているのだけれど、その一方で、なんだかよくわからない違和感(のようなもの)も感じたりする。なんというか、全部ソコソコなのだよね。なぜか腹の底にしっかりと収まらない。材料も味もそのつどまったく違うのに、しっくり来なさ加減だけがいつも一緒。そんな感じ。
「飯を作ってもらっておきながら、なに贅沢言ってやがんだ」と自分でも思うのだが。
そもそもわたしは、食い物に関しては結構コンサバなところがあって、知らない味を試すより安心できる知ってる味を楽しみたいというクチなので、余計にそう思うのかもしれない。
それなりの時間、一緒に過ごしてきた積み重ねみたいなものが影響しているのだろうか。COOKPAD的なものって、言ってみれば他人の家庭の味なわけで。ただ、それだけだろうかという気もする。
そんな感覚が、どう話したら妻に伝わるだろうかと考えている。
鬱屈した精神
ここ数日、電車の中で奇妙な光景に立て続けに遭遇した。
1つは、乗客同士の口ゲンカ&プチ・ファイト。アキバ系と不良気味アキバ系が、「ナメんなよ」「何もしてないじゃないですか」「外出ろよ」「嫌ですよ」などとと言い争いを始め、そのうち小突き合いを始めた。両者とも明らかにケンカ慣れしておらず、中学生レベルの争い。夕方の出来事で酒が入っている様子もない。止める間もなく、1駅分走ったところで1人が降りて終結した。おそらく、些細な理由からなのだろう。
もう1つは、泥酔したサラリーマンの爆睡風景。ドア付近の床に大の字になって寝込んでしまい、声をかけても動かそうとしてもビクともしない。しかたなく放置。駅に到着するたびに、何人もの乗客が彼の上をまたいで行き来した。いったい何を呑めばあそこまで酔えるのだろうか。
共通してたのは、当事者がわたしの世代の人間だったということ。ついでに言えばデブ。後者はともかく、前者はやや気になった。血気盛んなガキの時代はとっくに過ぎているが、中年と呼ぶにはまだ早い。そういえば、これまで自分と近い世代の人を公共の場でウザイと感じる機会があまりなかったな、と思った(マナーとかそういう問題はあったとしても)。
鬱屈した精神の発露なのだろうか。それとも、歳をとって見苦しくなってきただけなのか。そんなことをぼんやり考えていた。
オヤジの手習い、あるいは現実逃避
ピアノを習っている娘のためにと、この春に購入した電子ピアノ。最近はすっかりわたし自身がハマっている。生まれてこの方、ピアノになどまともに触ったことがないので、もちろんまったくの素人なのだが、家族が寝静まった夜中に音を鳴らして遊んでいる。気がつくと、2時間ぐらい熱中していたりする。
いやあ、電子ピアノって楽しいね。
最近は、何か1曲ぐらいはまともに弾けるようになりたいと欲が出てきて、付録でついてきたスコアと悪戦苦闘する日々。多少ピアノの心得のある妻からは「まずは基本を覚えるのが先」と再三忠告されているが、厄介なことにわたしは下積みが大の苦手だ。曲を弾こうとしないとやる気が起きない。
だけど、左手が満足に動かないのを何とかしないとなあ。短期集中コースなどに通ってちゃんと習ったほうがいいんだろうな、ほんとは。
だけど、我流もまた楽しい。ここ最近、仕事がらみで何かと気苦労が絶えない状況に陥っているが、ピアノに熱中していると精神がいい具合にリフレッシュされる。きっと、頭を空っぽにする時間を欲しているんだろう。
ま、そのうち飽きるかもしれないが。。。

Macなど自分のカネで買うべきではない(?)
メインで使っているPowerBook G4の調子が突然悪くなってきた。調べてみると、2つあるうちの下のメモリ・スロットがメモリを認識しなくなっている。これって、まさにこの症状じゃないか。
PowerBook G4 (15-inch 1.67/1.5 GHz) メモリスロットリペアエクステンションプログラムについて:
「よかった、無償修理か」と胸をなで下ろしたのも束の間、わたしのPBG4はこのプログラムの対象外だという。型番が少しばかり新しいからだと。そんな話ってあるかよ。。。
念のためDiscussion Boardを覗いたら、案の定、同じ不具合に見舞われながらリペアプログラムの対象外となり、泣く泣く自費で修理している人たちが何人もいる。
Apple Support Discussions – Lowerメモリスロット故障 :
ロジックボード交換で5万円? アホらし。
メモリが正しく認識されているかどうかなど、ふだんはさほど気にかけないから気づくのが遅れたのかもしれないが、それにしても、この症状が起こったのは比較的最近のことではないかと思う。アップデータが何らかの悪さを働いたのだろうか。
PBG4ユーザーの人は、念のため確認してみたほうがいいかも。
こういう障害に対するクールな対応ぶりを見ていると、ハードウェア・メーカーとしてのアップルの限界のようなものを強く感じさせられる。MacBook配ってブログに記事書かせるのもいいが、既存のユーザーを大切にしないと、いつかしっぺ返しを食らうよ。それでなくとも、今ではライト・ユーザーだってMacを買う時代。客は信者ばかりじゃないんだからさ。
かなり頭に来たので、いっそのこと、会社に新しいMacを買わせようかと思っている。少なくとも当分の間は、自分のカネをMacにつぎ込むなど、まっぴらご免だ。
ある種の感慨、少しの不慣れ
今週は娘の入園式というイベントがあった。娘にとっては集団生活の始まりであり、これから長く続く学校教育の始まりでもある。式当日は、そういうある種の感慨と、「○○ちゃんのパパ」としての振る舞いをしなきゃ的な微妙な居心地の悪さとが入り交じったような気分だった。
その後も、“慣れてない感じ”はまだ続いている。朝食は1時間ほど繰り上がり、朝の時間がゆったりしたし、妻と2人きりで家に居るのもなんだか妙な感じ。お互いヘンに気を遣いあったりするのも不思議だ。「コーヒー、もう1杯飲む?」「食器洗っておこうか?」みたいな。
通わせる幼稚園は、制服や給食がなかったり、障害を抱えた子を積極的に受け入れていたり、年長から年少までが一緒にクラスを構成していたり、泥んこになって遊ばせることを重視していたり、それなりのポリシーを持っている。わたしが幼い頃だったら通ってみたいと思わせるようなところだ。先生たちや他の親たちもやたらとサバサバしていたのが印象的だった。
これから、娘はこの場所でいろんなことを感じて育っていくんだろう。その場所に親は入り込むことはできない。それを不安と見るか、新たな関係の始まりだと見るか。今朝は妻とそんな話をした。
日々感じるであろうことを、はたして娘はどんな言葉で語って聞かせてくれるのだろうか。それをわたしは今から楽しみにしている。相手のことを何でも知ってりゃいいってわけじゃないんだ、きっと。大人同士のつきあいと同じように。

iPod+Rockbox
つい先日、デジタル・オーディオ・プレイヤー用のオープンソース・ファームウェア「Rockbox」の存在を知り、机の引き出しで眠っていたiPod photoを取り出して早速インストールした。
Rockbox – Open Source Jukebox Firmware
確かに評判どおり、音の抜けが格段に違う。左右の音を若干クロスさせてスピーカーの音に近づけるというCrossfeedや、かなり詳細な設定が可能なイコライザーのお陰もあって、好みの音、音場が比較的手軽に手に入れられる。これはちょっとスゴいかもしれない。
ただし、欲張ってあれもこれもと設定をいじると、デコードの性能が追いつかないのか、音飛びが発生しやすくなる。それに、バッテリーの減りの早さも驚異的だ。
FAT32フォーマットのプレイヤーでしか使えないので、Macユーザーにはちょっと不便かもしれない。本家のマニュアルには、Mac OS X上でiPodを初期化する方法が書いてあるが、わたしの場合はどうもうまくいかず、職場の同僚のWin機で初期化をしてもらった後、Rockboxを突っ込んだ。
インストールは、公式サイトで配布されているiPodPatcherを使えば別に難しくないし、気に入らなければいつでも純正ファームに戻すことができる。
長らくご無沙汰だったiPodだが、これでまたちょくちょく引っ張り出すことになりそうだ。

起動中。。。

デフォルトのテーマもスパルタンで悪くないが。。。

こういうのも悪くない。
愛情の総量
若い頃、愛情の総量には限度があると強く思い込んでいた。時間に限りがあるのと同じように、大切なことに割ける時間には限りがある。仕事だろうと、友達付き合いだろうと、大切な人との関係であろうと、愛情は結局のところ時間で換算できるんだと思っていた。
大人になり、大切なものが増えても、愛情の総量は増えはしない。増えたように思えたとしたら、それはきっと、時間を効率的に使えるようになっただけだと。
先日、妻から「前にそんなことを言っていたよね」と指摘された。思えば最近、家族と一緒に過ごす時間がまともに取れていない。家に帰っても、パソコンの前で頭を悩ませている時間が増えた。まだちゃんと花見もしていない。
そうだ。確かそう言った。言った以上はなんとかしなきゃね。サクラはもう終わりだけど。
Myヌードルカップ
コンビニで何となく買ってしまった日清カップヌードルの詰め替え用スターターパック。ゴミを出したくないというのもあるけれど、真っ先に思い立ったのは「これでオフィスにラーメンの備蓄がしやすくなるな」ということ(なんとも淋しいかぎりだが)。

プラスティックの口当たりが苦手で、スタバなどのタンブラーでコーヒーを飲むのはあまり好きではないが、ラーメン程度なら問題なさそう。欲を言えば、カップの内側の底の部分にもうちょっと丸みをもたせてくれると洗いやすくなるのだが。あとは、リフィルの種類が充実してくれればなおよろしい。
ちなみに、日清食品のWebサイトには、この商品専用のページが用意されていて、カップのデザインをダウンロードできたり、自分でデザインできたりするらしい。だけど、大高猛氏の手によるデフォルト・デザインを超えるのは、なかなか難しそうではある。
「電子マネー・ウォーズ」と世間は煽るが
SuicaもEdyもおサイフケータイにも縁がなかったが、今度のPASMOはさすがに使うことになるのだろう。どうせ定期券は持つわけだし、皆を待たせて券売機で切符を買うという行為が、これまで以上に厳しい視線にさらされるであろうことも、何となく想像がつく。
だが、よくよく話を聞いてみると、同じPASMOでも電鉄会社によっていろいろと差別化戦略があるらしい。PASMOとクレカとを合体させることでポイントがつくとかつかないとか、そんなようなものだ。結局のところ、会社がやりたいことなんて、そんなに変わらないんだな。顧客を囲い込み、データをとり、抜き差しならない関係を築けば、売上げが上がる、シェアが高まると思っているわけだ。
だが、本当にそうなのかなあ、と思う。
もちろん、需要があるからこそのビジネス・モデルなのだろうけど、少なくともわたしは、「どの系列店だとどのぐらいのポイントかつくのか」なんてことを絶えず計算しながら買い物をするなんて面倒くさくてかなわないなと思ってしまう。
実際、今では、ヨドバシとかさくらやとかの超原始的なポイントカードでさえ、ほとんど使わなくなった(ポイント要らないから値段を下げろと言えば、それなりに下げてくれるし……)。飛行機に乗ってもなぜかマイルを貯めようという気にはあまりならない。クレジットカードは頻繁に使うけど、その付加サービスにはほとんど関心がない。使うのは「誕生月だと10%オフ(だっけ?)」になるという、丸井カードくらいだ。
「ものぐさは損だな」と思うこともしばしばだが、かといって、企業の囲い込み戦略に乗っかることがさほど得なことだとも思えない。我ながら困った性分だとつくづく思う。
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