愛情の総量
若い頃、愛情の総量には限度があると強く思い込んでいた。時間に限りがあるのと同じように、大切なことに割ける時間には限りがある。仕事だろうと、友達付き合いだろうと、大切な人との関係であろうと、愛情は結局のところ時間で換算できるんだと思っていた。
大人になり、大切なものが増えても、愛情の総量は増えはしない。増えたように思えたとしたら、それはきっと、時間を効率的に使えるようになっただけだと。
先日、妻から「前にそんなことを言っていたよね」と指摘された。思えば最近、家族と一緒に過ごす時間がまともに取れていない。家に帰っても、パソコンの前で頭を悩ませている時間が増えた。まだちゃんと花見もしていない。
そうだ。確かそう言った。言った以上はなんとかしなきゃね。サクラはもう終わりだけど。
愛情の総量ですか。そうかもしれないですね。
わたしも、「自分の手のひらに乗せられる分だけのものしか、持つことはできない」って思っていました。それ以上のものを欲しがっても、開いた手の指の間からぽろぽろとこぼれてしまうだろう、って。だから、本当に大切なものを、ちゃんと大切にしなくちゃ、って。
そんな感じですか?
桜、わたしの街では来週あたりが見頃です。
Naoさん、こんばんは。
自分の身の回りの物事をできるだけフラットに見たいとは思っていますね。そのうえで、大切なことに大切な時間を割きたいなあと。
なかなかそう思うようにはいかないんですが。